沖縄放浪記 |
データ:沖縄県の人口132万人(Yahoo!の地域情報より) 那覇市の人口30万人(Yahoo!の地域情報より) 住みよさランキング 名護292位(県内最上位都市) 那覇556位 【10月14日(日)】 空港のカウンターでマイルカードを提示すると今回の旅行の往復チケットを渡される。電話だけの予約だったため、ここまでチケットを持っておらず、初めて手にしてとりあえずホッとする。JASの搭乗はバスに乗って駐機場まで行くが、これから乗るべき機体が近づくと、周りからは「小さ〜」の声が挙がる。2時間以上のフライトにしては確かに小さい。 小さいながらもしっかりと離陸し(あたりまえ)、西に向かう。東京湾を横断するのはあっというまで、すぐに富士山が見えてくる。ずいぶん前に初冠雪を迎えた富士山ではあるが、この日は雪が全くなく、赤茶けた山容をさらしていた。ベルトのサインが消えるのを待って、デジカメで航空写真を撮る。 機体が南の方へ進路を変えると景色は一面の海となり、デジカメの出番はなくなる。沖縄の島が見えてくる頃には再びベルトのサインが点灯し、撮影はできなかった。沖縄本島を回り込んで南から那覇空港へ進入するとき、最初に見えたのは、ガイドブックでよく見る平和記念公園の沖縄平和記念堂の白いタワーだった。 沖縄の地には初めて足を踏み入れ、これで全ての都道府県を制覇(?)したことになった。空港ターミナルには冷房が効いていたため分からなかったが、外にでると蒸し暑く、風が強い。この日の最高気温は28度、風は台風の影響だろう。 空港から市内へ行くバスは意外と少ない。しかもバス待ちの乗客も少なく、数人しかいない。東京から送り込まれた数百人の乗客はどこに消えたのだろうか。10分ほど待ってやっきたバスに乗り、マップを片手に国際通り下車に備える。空港から那覇の中心地へは近く、アクセスの良さは福岡空港に似ている。現在那覇空港から首里城の方へのモノレールが建設されており、これが完成するとアクセスはより便利になる。後から気づくのだが、市内の交通渋滞はかなりひどい。バスもどこに連れて行かれるのかさっぱり分からないので、モノレールは旅行者にとっても求められる。 国際通りの牧志というところでバスを降り、今回の宿である新金一旅館へと向かう。ここはインターネットで見つけた宿だ。 【市場中央通り】 国際通りからアーケードの商店街へ入り、ゆっくり歩いて3分ほどで第一牧志公設市場の入口がある。 新金一旅館は公設市場のすぐ近くにあった。公設市場は那覇を訪れる観光客が必ず立ち寄るところだ。旅館でチェックインを済ませ、公設市場で昼食を取ることにした。商店街の一角の公設市場は入口はたくさんあるが、分かりにくい。しかし、入口を示す白い看板がいくつも上からぶら下がっているのでそれを頼りに中へ入り込んでいけばいい。中は一階が肉や魚、野菜などの店舗で2階が飲食店になっている。1階では積極的な客引きを振りきり、2階へのエスカレーターに乗る。2階ではいくつか食事ができる店があったが、まだ昼前のせいか、客も少なく、店も開いているのか準備中だかよく分からなかった。その中でも、すでに客が入っている店に近づき、壁のメニューを眺めていたら店員が現れ席に着かされる。メニューの言葉は分からないものだらけで、店員がこれを喰えと言うから、沖縄そばを食べることにした。メニューには「ソーキそば」と書いてある。ソーキとは豚の骨付き肉だった。そばを待っている間に、オリオンビールと「てびち」なるものを追加注文する。以前、上海では青島ビールを飲みまくっていたが、ここ沖縄ではオリオンビールばかり飲むことになる。「てびち」は豚足のこと。けっこうでかい物がでてきたが、そのほとんどは骨で、ぷりぷりのゼラチン状の肉(脂?)が食べるところだ。のっけからげて物食いの感があったが、締めて\1300-。 【壺屋焼物博物館前】 沖縄の伝統的な「壺屋焼」をはじめとする沖縄の焼物の歴史や文化を明らかにし展望する博物館。(入館315円、月曜休館) 食事をしながら琉球バスに連絡し、13時からの県南部を回る定期観光バスの予約を入れていた。時間までは1時間以上あったため、壺屋や国際通りを眺めながら琉球バスの本社の乗り場まで歩くことにした。公設市場の周りは縦横無尽にアーケードの商店街が続いており、その一角を出ると壺屋地区となる。壺屋は沖縄を代表する陶器である壺屋焼きの発祥の地で、今でも2件の窯元が残っている。壺屋陶器センターにはいると、すぐに目に付くのがシーサーの置物だ。2匹セットになっており、沖縄の民家の玄関先にはたいていこの魔よけの獅子がいる。壺屋陶器センターの先には壺屋焼物博物館(有料)があり、ここも見学する。 壺屋を離れ、国際通りに出て沿道の土産物屋をのんびり見学していると、観光バスの時間が近づいてきた。事務所で受付(参加費\4,800-)を済ませて観光バスに乗り込むと、今回の乗客は4人だけだった。40人乗りのバスのわずか1割である。しかも今日は日曜日、これも米国で起きたテロの影響だろうか。この観光バスのコースのメインは南部戦跡と玉泉洞観光で、6時間の充実した観光となる。 バスはまず豊見城村の旧海軍司令部壕へ。壕は小高い丘の下にあり、外は展望が良く町が一望できる。慰霊碑にガイドさんとともに黙礼し、壕の中(有料\420-観光料金に含まれる)へと入っていく。壕は米軍の侵攻に備えたもので、4000人の兵士が収容されていたそうだ。通路は狭く、士官室や兵員室もあまりにも狭い。壕の中の説明をひととおり終えるとガイドさんは消え、自由時間となる。バスの集合時間まで資料室や外の展望台で時間をつぶす。 Camera:CANON Power Shot S10 Next Page |
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