|
TOP > 福岡県の山 > 馬ヶ岳・御所ヶ岳
馬ヶ岳・御所ヶ岳-福岡県の山 馬ヶ岳・御所ヶ岳-福岡県の山 古代の史跡を縦走する 古代の史跡を縦走する 【京都平野を一望する】
コース(タイム)西谷駐車場(9:15)-(9:59)馬ヶ岳-(10:50)御所ヶ岳-(11:10)神籠石-(11:51)西谷駐車場
《山概略》
《馬ヶ岳へ》 駐車場は10台以上駐められるが、駐まっている車は自分の車だけである。トイレはないが、登山口まで行くと仮設トイレがあるのは前回確認している。駐車場の前には馬ヶ岳城跡へのルートのマップがあるので、それを確認する。登山口まではしばらく車道を歩くので、そこまでが迷いやすい。 車で来た道を戻り、みやこ処理場の前尾を通り右折する。以前は黒田勘兵衛の幟が大河ドラマに合わせて何本も立っていた、もう取り払われている。道なりに進むと左手に田んぼ、右手に池が現れる。四辻の所に再び地図がある。このあたりはすでに馬ヶ城跡で土塁や堀切があったようだ。 四辻を直進し、雑木林の中の道を進むとようやく右手に登山口がある。馬ヶ岳城の解説があり、パンフレットも置いてある。この登山口にも数台分の駐車スペースはある。
登山口からは尾根の石段登りで始まる。良く整備された道で歩きやすい。登山道に沿って土塁や竪堀が現れる。430年前の遺構である。この道は山頂の本丸に続く唯一の道だろうから、かつては黒田勘兵衛も歩いたのだろう。 しばらく歩くと展望台との分岐があり、すぐ近くなので寄ってみる。展望台はちょうど行橋市街の方が見渡せるようになっている。海岸沿いには工場群も見える。この展望台には三つの岩があり、又兵衛岩、勘兵衛岩、太閤岩と名付けられている。 展望台から分岐に戻り、階段状の坂を登り、左が切れ落ちた細い道を進むと三角点(208.7m)のある広場に出る。かつては二の丸だった場所だ。築城の際に平らにしたのだろう。
山頂は三角点ピークの隣にある。相耳峰のような山だが、山の形が馬の鞍のように見えることから、馬ヶ岳と名付けられたようだ。その鞍の部分を下って登り返すと大きな石碑が見えてくる。新田氏表忠碑で、昭和3年に建てられたもの。新田氏は14世紀半ばにこの地で活躍した武士らしい。碑のあるところが本丸で、馬ヶ岳の山頂である。こちらには三角点はないが、標高は少し高く216mである。
《御所ヶ岳へ》 馬ヶ岳から御所ヶ岳の方へ向かう。ここから先はあまり一般道はないようで、特に道標の類がない。とりあえず道を奥の方へと進む。しばらく進むと、御所ヶ岳方面を示す道標がありほっとする。しかし、その先で道がロープで仕切られ直進できず、右か左へ降りるようになる。左が幸越峠、右が助迫口と書かれているが知らない地名だ。もう一つ指導標があり、ホトギ山が左となっている。ホトギ山とは御所ヶ岳の別名であることは知っていたので、左へ行けばいいことが分かった。
稜線から左へ下りていき、消え入りそうな道を進んでいく。ホトギ山と書かれた指導標は何回か現れるが、御所ヶ岳という文字は相変わらず出てこない。ロープのある急坂を上り、ベンチの前を通りすぎると御所ヶ岳の山頂に到着する。三角点があり、標高は246.9mである。珍しく二人組の登山者がいて、馬ヶ岳の方へ行くと言っていた。 御所ヶ岳(ホトギ山)のピークからは南の方の展望が開けている。見えているのは英彦山の山並みだろうか。左の方には馬ヶ岳の二つのこぶを見ることもできる。
山頂から神籠石の方へ降りていく。すぐに分岐があるが、右手の駐車場の方へ進む。道なりに進み、お寺のような所を通過する。更に降りていくと、綺麗に積み上げた石組みが見えてくる。中門跡の神籠石である。こちらは勘兵衛の時代より更に古く七世紀後半の山城である。朝鮮での白村江の戦いに敗れた日本が、国土防衛のために築いた山城である。 緻密に築かれた石垣に感心しながら道を降りていくと車道に出る。車を駐めた駐車場までまだしばらく歩かなければならない。景観が綺麗な住吉池公園を見下ろしながら歩き、農道を歩いて西谷駐車場へ戻った。 Camera:CANON EOS 6DMKⅡ
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |
ホームに戻る |