土曜の朝7時過ぎの関越道下りは混雑していた。そこへ突然の大雨。予報では午後からの雨だったが、それが早まったのだろうか。すっかり山へ行く気は失せて、この日は山へ行くことは止めた。しかし、甘楽PAで休んでいると雨は小康状態になり、薄日も差してきた。再び気が変わって山へ行くことにした。
稲含山は以前から行きたいと思っていた。ぐんま百名山というものがあり、それにも選定されている山だ。
富岡ICで下り、雄川沿いの道を那須方面へ向かう。途中、織田家七代の墓や武家屋敷などの観光案内の看板が目に入る。甘楽町は歴史のある町のようだ。雄川に架かる橋の手前に稲含山の案内板があるので右折する。細い道を道なりに車をゆっくりと走らせる。七曲がりをぐんぐんと登り、ナビ上の稲含山が徐々に近づいてくる。このまま車で山頂へ着いてしまいそうな勢いである。途中右手にトイレの小屋があるが、まだ車道は続いているので、そのまま通過する。
車で登るにつれてガスが濃くなり、峠のようなところに到着。ガスで様子がよく分からないが、広場のようになっており、埼玉ナンバーの車が2台止まっていた。この車のダッシュボードにはこの日の山行計画の紙が置かれていた。なかなか心がけの良い事だ。この場所が登山口であることを確認し、準備をした。
【林道終点登山口】
少し下の鳥居峠に広めの駐車場がある。山頂まで歩く距離が短いので、少しでも下から登って山歩きを楽しむ方がよい。
雨はぱらぱらと降る程度で、雨具の上着だけを着て出発。尾根道を登っていく。道は車が走れるほどの幅がある。少し歩くと、車が停まっており、発電機が置かれ、高いアンテナを立てていた。無線やさんのようだ。さらに歩くと、若干の駐車スペースがあり、林道はそこで終点となっている。ここから山頂までは0.95kmとある。
落ち葉が敷き詰められた山道を歩く。赤鳥居をくぐり、やがて左手に稲含山と思われるピークが見えてくる。クサリ場の急坂を登り切ると分岐があり、左が秋畑稲含神社で右が稲含神社・山頂となっている。右手へ行くと、5分ほど稲含神社に到着する。神社は無人の社で、いざとなれば避難小屋となる。
【稲含神社】
稲含の神はインド国王の姫君で、持ち出し禁止の稲穂を密かに口に含んで竜馬に乗り、讃岐に着き、後に狩人を従えて稲含山に祭られたという。五穀など全ての種はこの神が出したものだという。
神社の手前を少し登ると稲含山山頂(1370m)に到着する。下からすでに山頂から声が聞こえていて、少なからず人がいると思っていたが、狭い山頂に9人もの人がいた。どうやらひとつのパーティーらしい。鳥居峠で見た2台の車の主かも知れない。
山頂からは意外と眺めが良い。といっても雲海ばかりが見えている。人がいなければ360度のパノラマ写真を撮りたいところであった。中央には方位盤があり、谷川岳、白根山、浅間山、荒船岳、赤久縄山などが見えるようだ。
【稲含山頂上】
西上州の山はそれぞれのピークが独立峰であるため、どの山も山頂からの眺めがよい。標高1370mからは雲海に浮かぶ山々を見渡すことが出来た。
山頂は休む場所もないので、腰掛けることもなく滞在は10分ほどで下山した。先の分岐を秋畑稲含神社へ行く。この道はあまり人が歩かれていないのだろうか、落ち葉の多い、崖っぷちの斜面をトラバースして、秋畑稲含神社に到着する。
下仁田側の稲含神社に対し、この秋畑稲含神社は甘楽町側に位置する。かつての栗山村と秋畑村が神様を奪い合った歴史もあるという。
【落ち葉の道】
この時期紅葉はピークを迎え、登山道も落ち葉で埋まっている。崖側は柵が巡らされ、地元の人を中心に良く登られている山だとうかがえる。
神社からはかなり急な階段状の坂を下る。途中水場がある。鳥居をくぐり、林道に出る。地図では道がよく分からないが、林道を左手の登りの方へ進んだ。この林道は車で登ってきた林道であるらしい。峠へ行くには登るのが基本である。やがて車を止めた鳥居峠に到着した。
林道は下仁田まで続いているようなので、来た道を戻らずに下仁田へ降りていった。登ってきた道より、こちらの方が走りやすかった。
次の日は軽井沢から、旧中山道を走った。途中、碓氷峠で旧碓氷峠鉄道のめがね橋を見学した。橋の上は歩くこともできるようで、トンネルを越えて横川駅までハイキングコースが続いている。そして車を横川駅まで走らせ、無料駐車場に車を止め、近くの碓氷関所を見学した。碓氷関所は醍醐天皇の時代、899年に群盗を取り締まるために当初碓氷峠に設けられている。現在の位置には徳川時代に移され、中山道の要所となっている。峠の釜飯もこのあたりが発祥である。
横川から国道18号線を高崎方面へ走ると、右手に妙義山が見える。その奥の方には星穴岳があり、車窓からはちょうどその星穴が二つ見えている。いつもは国道18号と並行して走る高速道路からその星穴をちらっと見ていたのだが、この日は脇道に車を止めてじっくりと見ることができた。しかも車を止めたところは、その昔、百合若大臣がこの山に弓を射って穴を空けた時に、足を踏ん張ったためできた少しへこんだ足跡石がある。