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熊伏山-日本三百名山 熊伏山-日本三百名山 かつて栄えた街道も今は秘境 かつて栄えた街道も今は秘境 【熊伏山頂】
コース(タイム)塩の道入口(06:42)-(06:54)青崩峠-(08:02)前熊伏山-(08:19)熊伏山(08:54)-青崩峠-(10:07)塩の道入口
《山概略》
《熊伏山へ》 駐車スペースへは一番乗りだったが、その後一台の車がやってきた。その人は登山者ではなく、青崩峠を見に来ただけだそうだ。自分が準備している間に山の中へ入っていった。その後、自分も出発する。塩の道と書かれた石碑の所まで行くと登山口が見えてくる。水窪町の案内板があるが、2005年に浜松市に編入され、現在は浜松市天竜区である。 登山口からは石畳の階段が続く。1572年(元亀3年)武田信玄が3万の兵を率いて通ったと言われる古道である。周りは植林帯で日差しが遮られている。少し進むと武田信玄の腰掛け岩がある。石段は続き、建次屋敷跡を通過する。
青崩峠へは10分あまりで到着した。遠州と信州の県境に位置し、秋葉街道最大の難所と言われている場所である。新・浜松の自然100選の標柱など、様々な案内板が立っている。峠から左手にヤセ尾根が延び、擬木の階段が続いている。
尾根の右手は切れ落ちていて、国道152号が途切れる訳が分かる。地盤が緩いためトンネルが掘れないのだ。眺めの良いところでは秋葉が移動に沿った谷間が続いているのが見える。この谷間は中央構造線となっている。奥に見える山並みは南アルプスだろう。 擬木の階段はしばらく続く。あまり人が訪れそうもない山だが、良く整備されている山だ。樹相がブナ林に代わり、緑と青空で気持ちの良い登りとなる。ミツバツツジがところどころで咲いている。
青崩の頭の所まで来ると、謎のコンクリート構造物がある。数メートル四方のコンクリートの土台である。その後、出会った登山者と話しているうちに、鉄塔の土台ではないかと言うことになった。その近くには四等三角点がある。 急坂の尾根を登りきると巨木の立つ前熊伏である。左から観音山の稜線と合流している。ここから熊伏山の山頂まで標高差は数十メートルで多少のアップダウンはあるが大したことはない。少し休憩してから山頂に向かった。
樹林帯から抜けることなく、熊伏山の山頂(1653.7m)に到着する。熊伏山の名前の由来は調べても分からなかったが、熊の名前がある以上、熊がいるかと思い、多少は緊張しての登頂だ。とりあえず日本三百名山の一つをクリア。 山頂には一等三角点がある。眺望はあまり良くないが、木々の隙間から北東方面の南アルプスの山並みが見える。まだ山頂には雪が残っているのが分かる。山頂で休んでいると、一人の登山者が来たので記念写真を撮ってもらう。松本出身の人で、このあと下山後の温泉まで一緒となる。
下山は来た道を戻る。だいぶ日が昇ってきたので、青崩峠のあたりまで来ると、南アルプスの聖岳もくっきりと見えてきた。この日の熊伏山登山者は二人だけかと思ったが、登山口まで降りると二人組がこれから登ろうとしていた。長野県側から登ろうとして、通行止めだったのでこちら側に回り込んできたようだ。 下山後は国道152号の迂回路である兵越峠を越えて長野県入りし、かぐらの湯へ入った。海水のように塩味のある温泉だった。塩見岳の後に入った温泉も塩味だったことを思い出した。ここまで同行した松本の登山者は、翌日に黒法師山へ行くらしい。自分は淡路島の諭鶴羽山へ行くことを告げて別れた。 中央道へ向かう途中、日本三大山城のひとつである岩村城へ立ち寄った。途中の道は国道とは思えないほど狭い道が続き、難儀した。
Camera:CANON EOS 6D
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