TOP > 福岡県の山 >四王寺山
四王寺山-福岡県の山
四王寺山-福岡県の山
日本最古の山城は城壁が残る
日本最古の山城は城壁が残る
【大野城跡百聞石垣】
○山行情報 | ||||
日程 | 2020年12月28日(月) | |||
山名(山域) | 大原山(福岡) | |||
入/下山地 | 都府楼前駅/ルートイン太宰府 | |||
メンバー | 単独行 | |||
行動時間 | 4時間22分 | |||
歩行 | 距離 | 登り | 下り | 歩数 |
11.3km | 697m | 626m | ---歩 |
○コース(タイム)
都府楼前駅(10:30)-大宰府政庁跡-(12:25)百間石垣-大野城趾-(13:12)大原山-焼米ヶ原-(14:52)ルートイン太宰府
《山概略》
福岡県太宰府市にある四王寺山は、大城山(最高峰410m)、岩屋山、水瓶山、大原山の総称。白村江の戦い(663年)に敗れた日本が新羅からの侵攻に備えて大野城が築かれている。国指定特別史跡、日本100名城に指定された日本最古の城である。周辺は四王寺県民の森に指定され、玄界灘や筑紫平野を一望することができる。
《アプローチ編》
年末の福岡帰省に合わせ四王寺山を登ることにした。太宰府の山と言えば宝満山で何度も登っているが、四王寺山は初めてである。
羽田発7:25のANA241に乗り、福岡空港から地下鉄で天神まで行き、西鉄電車に乗り、都府楼前駅で下車する。自宅から約5時間のアプローチである。
《四王寺山へ》
都府楼とは太宰府政庁のことである。7世紀に九州全域を管轄し、外交と防衛を担っていた役場である。その名を冠した都府楼前駅の改札を出て右に進む。交差点を直進し、歩道橋を渡ると立派な門構えの小学校がある。東の方へ進み、水路と平行する遊歩道を歩いて行くと左手に広場が見えてくる。そこが特別史跡の太宰府跡である。史跡と言っても何も無い、ただの広場である。その広場の奥にある山並みが四王寺山である。
四王寺山に向かって、太宰府跡の真ん中を進む。周りは子どもたちが凧揚げに興じたり、親子連れが散歩したりと公園のような感覚だ。広場の奥まで行くと、3基の石碑が建ち、その一つは大きく「都督府古址」と彫られている。12世紀頃に大宰府政庁が廃絶してから荒れ地となっていたが、明治になってようやく碑が建てられたそうだ。
石碑を通り抜け、踏み跡の残る道を進み、木道が現れるのでそこを歩く。万葉歌碑だろうか、その横を通り抜け、あぜ道から車道に出ると、坂本八幡宮が見えてくる。令和の幟が立ち、境内に入っていくと、令和の石碑がある。坂本八幡宮は大伴旅人の邸宅跡と伝わり、このあたりで梅花の宴(730年)を開いたことで令和に由来する歌が詠まれている。その宴から1290年経ち、我が国の元号が令和となったのである。
~ 「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」 ~
令和になってからこの神社は多くの人が訪れていると言うことだったが、平日のためかこの日の参拝客は少なかった。
坂本八幡宮を出て通りを左に進む。最初の交差点に四王寺山頂まで2.2kmの指導標がある。その先で道は九州自然歩道となるが、舗装道は続く。徐々に周りの自然が豊かになり、右手にため池を見る。
九州自然歩道の案内板があるが、簡易マップはあまり役に立たない。やがて道は山道となり、足元は濡れているので滑らないように気をつける。分岐が現れるが、指導標がないのでどちらに進んで良いのかわからない。なるべく道なりに進むと、やがて目の前に石垣が見えてくる。朝鮮式山城の石垣で、この大石垣は平成に入ってからの集中豪雨で損壊し、その後復元されたもののようだ。ちなみに同じように朝鮮侵攻に備えて、建てられた、行橋市にある御所ヶ岳の神籠石は、ここよりも精緻な石垣だった。
大石垣を通り過ぎ、山道を登っていくと公園のような広場に出る。このあたりは増長天礎石群と呼ばれ、4棟の高床建物が建っていた礎石が残っている。礎石群の奥へ行くと南側の展望があり、太宰府の街並みが見えている。
道は下りとなり車道に出る。峠のような場所で焼米ヶ原という駐車場がある。日だまりになっていて暖かく、展望もある。この峠の駐車場から道は百間石垣と大原山に分かれるが、今回は百間石垣の方へ行き、大原山を周遊してここへ戻ってくる予定だ。百間石垣方面はしばらく車道歩きとなる。山の峠道で歩道は無く、時々車が通り抜けていく。道を下っていくと集落に出る。このあたりは宇美町だ。指導標に従い、右の道に入る。集落を通り抜け、道は林道となる。道は分かれるが、主城原礎石群と書かれた方へ進む。
舗装道から山道に変わり、分岐を左、右へと進むと原っぱに無造作に石が並んでいる場所に出る。そこが主城原礎石群なのだろう。特に説明の案内板とかは無いが、「大野城跡で官衙遺構」と書かれた昭和54年の新聞の切り抜きが無造作に置かれていた。官衙(かんが)とは役所のことだが、大野城の城壁の中にある。
礎石群の奥から宇美町道と書かれた道を進む。人気の無い盛り土のようなところを進んで行くと車道に出る。車道を右手に降りていくと、左手に石垣が見えてくる。百間石垣と言い、長さが180mあり、大野城で一番大きな石垣である。石垣は見上げる高さにあるが、そこを上る道があるので登って近くから見てみた。
百間石垣からは、道を挟んで山道が続いていた。指導標は北石垣へと書かれている。階段状の道が続き、ひと登りすると北石垣に到着する。そこは石垣の上になるようで、石垣自体は見ることができない。そのまま道を進み、下っていくと木橋がある。橋を渡ると左に小さな石垣が見える。その小石垣からは、大原山を目指すことになる。
石垣を回り込んで、石垣の上を歩き、道が続く。道脇に石仏が現れ、第18番札所と書かれている。この後、時々その石仏シリーズが現れる。道は急坂を登ることは無く、やがて大原山の山頂(354m)に到着する。山頂部分は数本の木が立ち、そこだけ木陰になっている。この山頂からは眺望は無く、休むようなベンチも無い。少し進んだ先にベンチがあるのでそこで休憩した。
山頂を通り過ぎても札所の石仏は転々と現れ、そこを通り過ぎると、眺めの良い展望台に出る。砂地の斜面を少し登るとベンチがあり、ゆっくり眺望を楽しむことができる。正面に森に囲まれた九州国立博物館が見えている。周りの住宅と比べてもかなり大きい建物だ。右の方には背振山系の基山、左には宝満山や三郡山も見えている。
展望台を後にすると、馬の背のような開けた緩やかな道になる。家族連れなど人が多くなる。大きな石碑があり、玄清法印之墓と書かれている。筑前琵琶の開祖だそうで、広場の端にぽつんと建っている。このあたりは大野城跡の尾花地区で、10棟の高床式倉庫が建っていたようだ。
尾花地区のすぐ先が、先ほどの焼米ヶ原の駐車場だった。そこから南の方の山道を降りていく。鳥居があり、その先に門のような跡があるが、大野城の太宰府口城門だったらしい。このあたりはあまり整備されておらず、遺跡がそのままむき出しになっている。門を出て、荒れた山道を下っていくと車道に出る。歩道の無い車道を下り、太宰府墓苑の前を通り過ぎ、左手にルートインの緑の看板が見えてくる。
太宰府駅まで歩ける距離で、実家まで2時間かからないのだが、今日のお宿はルートイングランディア太宰府にしていた。このあたりでは珍しい温泉の宿である。一泊して、翌朝福岡の実家へ帰った。
○今夜のお宿 | |
ルートイン グランティア太宰府 ★★★★ | |
場所:福岡県太宰府市連歌屋3-8-1(TEL:092-925-5801) | |
天然温泉「みかさの湯」 | |
料金:6,550円(JAF割引) |
Camera:CANON EOS M6